第29回(平成19年度)奨励賞受賞者 (平成19年9月29日授与)

第29回(平成19年度)奨励賞受賞者 (平成19年9月29日授与)

氏名 受賞論文
柴田大輔 「古代メソポタミアにおける神名の解釈学:シュメル語シュイラ祈祷 ur-sag úru ur4-ur4『勇士、逆巻く洪水』におけるマルドゥクの名前と称号」『オリエント』49/2 (2006)
橋爪烈 「『時代の鏡』諸写本研究序説」『オリエント』49/1 (2006)

受賞論文および評価

氏名 受賞論文および評価
柴田大輔

  楔形文字は、一つの文字が複数の音や語を表す多義的な文字体系であった。メソポタミアでは、そのような楔形文字の特徴を利用して、同じ文字によって表記される語や文に、一般的な語義以外の様々な隠された意味を見出そうとする一種の解釈学的技法が発達した。特に、神の名前の意味を釈義する神名の解釈学が積極的に行われ、当時の神学構築に寄与した。しかし、神名の解釈学は当時の文学・宗教伝統の奥義を尽くした試みであり、釈義の論理的経路を理解するのは容易でないため、当該課題の研究は敬遠される傾向にあった。近年になり、すぐれた研究も発表されるようになったが、関係する資料は多く、その大半はまだ取り扱われていない。また、解釈学が当時の宗教伝統に寄与した具体的な様相など、解釈学の総合的研究も今後に期待される課題である。

 このような研究状況に鑑み、本論文は、マルドゥクに捧げられた祈祷文書「勇士、逆巻く洪水」をサンプルとして取り上げ、神名の解釈学と神に捧げられた祈祷の伝統の関係について論じた。これまで看過されてきたが、同文書にはマルドゥクの異名の意味を解き明かす釈義的称号が列挙されている。本論考は、それらの釈義的称号がマルドゥクの諸異名から導き出された論理的経路を明らかにし、さらに祈祷文の内容と祈祷が朗詠された祭儀的脈絡を検討することにより、当該祈祷文書中に釈義的称号が列挙された理由を解明した。 いまだ独創的な見解を示すには至っていないが、問題の所在と枠組みを正確に捉えたうえで堅実な考察を重ねた好論で、オリエント学の発展に寄与したと評価できる。よって日本オリエント学会は、柴田大輔氏に本年度の奨励賞を授与することを決定した。

橋爪烈

 『時代の鏡』は13世紀のスィブト・イブヌル・ジャウズィーによるアラビア語の歴史書である。同時代史料として、また他では伝わらない史料を引用するものとして、その史料的価値は高い。しかし部分的な刊本があるだけで、全体の校訂、出版はなされていない。本書について史料学的考察を行ったのが本論文であり、橋爪氏はこの著作の写本群を整理し、そのテキストの成立について新たな知見を提出した。

 これまでの研究(ジェウェット、カーエン、グオ、橋爪)によると、『時代の鏡』には記述内容の異なる2系統の写本群があり、一つは「原著の写し版」、他方はユーニーニーによって改訂増補された『要約』であると考えられていた。橋爪氏は引用の典拠の記載・不記載、記述量の違い、著者の発言を示す場合の表現の違い、などに着目して写本を分類し、これまでどちらの系統に属すか判明しなかった多数の写本の位置づけを明らかにした。

 また「原著の写し版」と考えられていたものも、写本の精査を通して、スィブト自身の著作を写したものではなく、ユーニーニーの『要約』とは異なる、別の要約版(橋爪氏は『抜粋版』と呼ぶ)を写したものであると考える。これによって『要約』が原書よりも増補されているという無理な説明を避けることができ、二つの写本群はともに、スィブト自身の著作を別個に要約した二つのソースにそれぞれ基づいている、という結論が導き出された。

 この史料研究への沈潜からどのような歴史像が描き出されるのか、現段階では明らかでないにせよ、史料の分析は丁寧で手堅く、先行研究が見落としていた点をつくことによって新しい見解を導き出しており、その論述も明快であり信用できる。この点を評価して日本オリエント学会は、橋爪烈氏に本年度の奨励賞を授与することを決定した。

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